駿府城は豊臣秀吉の城であった時期があったんですね
駿府城公園は子どもの頃の遊び場であり今でも散歩コースで、駿府城もある程度は知っているつもりでいました。
先日、豊臣秀吉の時代と考えられる大量の金箔瓦が駿府城天守台跡から発見されたという静岡新聞のニュースを読んで、意外というかびっくりしました。
・ 駿府城公園の駿府城天守台の石垣
駿府城は、元々は今川氏の館があって、その後武田の支配下に置かれ、さらに徳川の支配下になった段階で徳川家康が築城し、家康が大御所になり江戸から駿府に戻った時に改修が行われたと思っていました。
ただ、今回の金箔瓦の発見で、家康の築城と改築の間に豊臣秀吉が造らせた駿府城があったと知りました。
静岡は今川と徳川、少しだけ武田の影響を受けた土地との印象が深かっただけに、そこに豊臣が絡むとは意外です。
それにしても、改築の際に秀吉の駿府城を跡形もなくするなんて、家康は秀吉が大嫌いだったんですね。合理的な考え方をする家康公と思っていただけに、このことも意外でした。
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大量の金箔瓦、「秀吉の城」か 駿府城公園で発見 静岡市は16日、同市葵区の駿府城公園内の駿府城天守台跡から、豊臣期に作られたとみられる大量の金箔(きんぱく)瓦と、徳川家康が建てた駿府城とは異なる形状の石垣が見つかったと発表した。専門家は「豊臣秀吉の家臣が秀吉の支援を受けて築いた城であったことは間違いない」としていて、家康の居城として名高い駿府城に天下人2人が関わっていたことが明らかになった。
田辺信宏市長が同日の定例記者会見で、駿府城発掘調査の中間結果として発表した。市によると、「秀吉の城」に使われていたとされる金箔が施された瓦約330点と、南北約37メートル、東西約33メートルの天守台が見つかった。天守台の石垣は徳川家康が建てた駿府城とは異なる形状で、自然石を積む野面積みだった。
専門家による現地調査と検証の結果、見つかった城跡は秀吉が、家臣・中村一氏が城主だった1590~1601(天正18~慶長6)年の間に築かせたものと特定された。これまでも駿府の地に秀吉の城があったとされていたが、詳細は不明だった。
今回の調査で、家康による1585~1588(天正13~16)年の駿府城築城と、1607~1610(慶長12~15)年の駿府城大改修の間に、駿府城の地に秀吉が城を建てさせていたことが裏付けられたとしている。
2018/10/16/静岡新聞
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