豊臣秀吉が築かせた駿府城天守台の石垣を見てきました
先週の日曜日に駿府城の豊臣時代の天守石垣の発掘現場の説明会が開催されたので見に行ってきました。
駿府城に豊臣時代の天守があったとは意外で、僕のような歴史にそれほど興味がない人間でも見てみたいと思ったようで、説明会は賑わっていました。
・ 駿府城の豊臣時代の天守石垣の説明会 2018.10.21
子どもの頃は遊び場で今でも散歩コースのひとつのなれ親しんだ駿府城公園(いまだに僕の中では「駿府公園」のほうが落ち着きますが...)ですが、駿府城の天守は残ってもおらず復元もされていません。
駿府城の駿河を支配した徳川家康が今川館の後に建てたものと理解していました。
改めて調べてみると東海道の要衝であった駿府は戦国時代に支配者が短期間に代わっています。ざっくりと今川→武田→徳川→豊臣→徳川といった感じかなあ。
今回、公開されたのは豊臣時代の天守の石垣です。
現在、徳川家康が改築した駿府城の石垣の発掘が行われていて、それにともない豊臣秀吉が建てさせた天守の石垣が発見されました。
説明会で配布された資料によると、徳川の天守(緑枠)の南東の位置に豊臣の天守(赤枠)がありました。
・ 徳川と豊臣の駿府城天守 ※ 説明会配布資料(静岡市)から引用・加筆
下の写真が、徳川家康が1610年に大改修を行った駿府城天守の石垣です。石が整然と組まれているように見えます。
・ 駿府城 徳川時代の天守石垣
一方、下の写真は豊臣秀吉が建てさせた天守の石垣です。大きな石の隙間は小さな石で埋めたラフさを感じます。
・ 駿府城 豊臣時代の天守石垣
また、同時に出土した豊臣の天守ものと言われる金箔瓦も展示していました。わずかに表面に金箔が残っています。
・ 豊臣時代の駿府城天守のもとと言われる金箔瓦
もしかしたら、天守のどこかに最初に家康が建てた駿府城の痕跡があるかもしれません。
それにしても、駿府をめぐった家康と秀吉の執念を感じます。
関連エントリー
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・ 駿府城の野面積みの石垣はやはり家康の石垣だったという話 2023.02.06
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