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2007.05.24

七夕豪雨と大谷川放水路

1974年7月7日(日)に静岡市は、七夕豪雨と呼ばれる大雨に見舞われました。

その頃、僕は中学生でした。7日の夜は凄い雨で、「バケツをひっくり返したようなものすごい雨」とはこういうものかと初めて実感しました。静岡市では、降水量444mm、時間当たりの平均降水量63.4mm/hr、1時間の最大降水量は84.5mmだったそうです。
七夕豪雨の記録/静岡県静岡土木事務所

次の日の朝は天気は回復し、中学校へ登校すると校門に休校を知らせる紙が張り出されていました。
それで、友人と自転車で不謹慎にも洪水の様子を見に行きました。千代田から東は一面水浸しで、湖のようです。面白がって、自転車で入れるところは走り回って、家に帰って父親にこっぴどく怒られました。
思えば洪水の後は、不衛生で何処に何があるのかわからない危険な状態だし、何より被害を受けた人たちのことを考えれば、僕らのした行為はとんでもないことなんです。

氾濫した巴川は、静岡市の麻機沼から清水湾に流れる勾配が10mにも満たない極めて緩やかで氾濫しやすい川です。
そのために巴川の水を駿河湾に流すための大谷川放水路が、七夕豪雨の後にできました。
普段は、放水路は水がほとんどなくコンクリートに囲まれた殺風景なんですが、その後、市内が七夕豪雨のような大規模な洪水に襲われた記憶はないので、立派に機能しているんですね。

写真は巴川と大谷川放水路の分岐点です。奥へ流れる川が巴川で清水湾へ、右が大谷川放水路で、駿河湾に流れ込みます。

巴川と大谷川放水路の分岐点

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コメント

syuwasyuwasaidaさん、コメントありがとうございます。
七夕豪雨の時は、随分と御苦労されたんですね。コメントを読んで、僕の能天気さを再度戒めました。
あの頃は、伊豆で大きな地震があったりして、静岡県でも災害が起こったような気がします。
地震について言えば、国内のあちこちで震災が発生しているのに対し、東海地震が昔から騒がれている静岡が、静かなのが不気味です。

投稿: Kaze | 2007.05.26 10:47

私も中学生のときに七夕豪雨で、被災しました。
家の前の道路が、1メートル50センチくらいの深さの濁流と化し、車が、自動販売機が、濁流とともに、流れていくのを、2階の窓から眺めてました。

川からは、相当離れていたけれど、水が引くとあたり一面10センチの深さの泥でおおわれていました。
水が、引くときに、父や母が、ホースを持ち出して、家の中の泥が、乾く前に、一気に洗い流し、今のうちに出来ることをしなさいと、手伝わされましたが、父や母のたくましさを、肌でかんじました。


水がおおかた ひいたとたんに、
町内会長をしていた父は、町内の代表として、その後、1週間ほど、地区の消防団の手伝いとかで、召集され、決壊したところで、土嚢作りなどを手伝わされ、
母は、自衛隊のトラックを、自分の町内に来てもらうように、
幹線道路で、誘導に行ってしまい。

(被災した畳や、家具が、町内の道路に山積みになっていて、
通ることも出来なかったのでした。
それを片付けに、自衛隊が派遣されてたのでした。)

親が町内のごたごたで、巻き込まれてしまったため、
中学生と小学生の女姉妹と、ばあちゃんだけが、残されて片づけをするはめになりましたが・・・・。

その後、2週間近く家の片付けやその他もろもろの雑務(町内の150軒分くらいの食料をリヤカーで、本部まで、取りに行ってきてとか、家のことだけではない町内の用事で、いろんなことを手伝わされました。

(水害になるとガスが通じなくなるんです。
なのに、食料として、配られるのが、袋のインスタントラーメンとか、とんでもないものの支給が多かった。その量も少なかった記憶が。
いつ行っても袋のインスタントラーメンの支給って。
もっと防災の備蓄を考えてほしいと子供ごころにも思ったものです。)

勇気を出して、これをもらっていっても、食べられないんです。ガスが無いんです。火が無くても食べられる あちらのおにぎりは、だめなんですかと、取りに行った時に、ちょっと本部の人に姉が言ったら
大人の男の人5~6人に取り囲まれて、あれは、自衛隊の人の食料。
食料をもらえるだけ、ありがたいと思えと中学生の女の子二人を取り囲んで口々にお説教の嵐だったんです。

住んでた町内は、一軒家の平屋がほとんどだったので、みんな、家に住めなくて、片付けにだけ、通っている状態でした。支給されたインスタントラーメンを各家に届けに行くとそこで、また、食べられないものをもってくるなんてと、またまた苦情の嵐を受けました。)

父や母は一生懸命やっているのに、本部から、
吊るし上げを食ったり(新聞社が取材をした町内の人が、本部への不満を言ってたのを、取材先として父の名前を新聞に載せたので)
ホント損な役回りでした。

これで、結構人間不信に陥りました。
大人は、身勝手、大嫌いと、思わされた気がします。

結局我が家は、貧乏くじを当てていた気がします。

そんなやこんなで、他の友達の倍近くの2週間近く学校を休むことになったのでした。

その顛末と、今後の防災備蓄の意見などをまとめて、夏休みの自由研究にしたところ、市で、第2位になり表彰されたってところが、
今になって思うと 笑っちゃいます(苦笑ですけど・・・)

投稿: syuwasyuwasaida | 2007.05.24 22:50

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