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2011.03.25

田老

僕が岩手県の宮古に行ったのは、1980年8月16日でした。もう随分前のことだけど、その日の朝、静岡駅前の地下街でガス爆発事故があったので日付まで覚えています。

関連エントリー:静岡駅前地下ガス爆発事故から30年が経つんですね (2010.08.16)

田老の町に行ったのはその次の日だったと思います。
別に何の予備知識もなくふらっと立ち寄ったのだけど、海岸線を防潮堤に囲まれた風景の雰囲気に不思議な感じを抱きました。城塞都市だなぁと。

 田老 Google Mapから画像引用
・ 田老 Google Mapから画像引用

僕はその防潮堤で守られた理由を後で知りました。
当時、大学で写真の勉強をしていた友人のFにその光景を話すと、それは過去の苦い津波の経験からできたものだと経緯を教えてくれました。

東北地方太平洋沖地震の津波が田老の町も襲い、防潮堤を乗り越え甚大な被害を与えたそうです。
過去の経験を超える津波に言葉がありません。
何度もの津波の被害から立ち直った田老の人々。再度の復興を願うばかりです。

引用文「日本一の防潮堤」無残 想定外の大津波、住民ぼうぜん
「日本一の防潮堤」「万里の長城」――。住民たちは、そう呼んで信頼を寄せていた。岩手県宮古市田老地区にあった全国最大規模の津波防潮堤。だが、東日本大震災の未曽有の大津波にはなすすべもなく、多数の死者と行方不明者が出た。「今後、どうやって津波を防いだらいいのか」。住民たちはぼうぜんとしている。
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約4400人が暮らす田老地区は「津波太郎」との異名がある。1896(明治29)年の明治三陸津波で1859人が、1933(昭和8)年の昭和三陸津波で911人が命を奪われた。
防潮堤は、昭和三陸津波襲来の翌34年に整備が始まった。地元の漁師らによると、当時の田老村は、高所移転か防潮堤建設を検討。結局、海に近い所に住みたいとの村民の要望や代替地の不足から防潮堤建設を決断し、当初は村単独で整備を始めた。工事は中断を挟みながら段階的に進み、半世紀近く後の78年に完成。総工事費は80年の貨幣価値に換算して約50億円に上る。
こうして出来上がった防潮堤は、海寄りと内寄りの二重の構造。高さは約10メートル、上辺の幅約3メートル、総延長約2.4キロと、まるで城壁のようだ。岩手県によると、二重に張り巡らされた防潮堤は世界にも類はない。総延長も全国最大規模という。60年のチリ地震津波では、三陸海岸の他の地域で犠牲者が出たが、田老地区では死者はいなかった。日本一の防潮堤として、海外からも研究者が視察に訪れるほどだった。
2011/03/20/朝日新聞

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